京都観光 なるほどタクシー

なるほどタクシー ショートガイド

京都の定番スポットを「なるほどタクシーならではのショートガイド」で少しだけご紹介します。

リクエストの多い名所ベスト16(順不同)
リクエストの多い名所地図

1.金閣寺
概要:臨済宗相国寺派。本名は鹿苑寺。
西園寺公経の山荘を室町幕府3代足利義満が譲り受け、 1397年(応永4年)に金閣舎利殿を含む北山殿を造営した。
北山文化を育くみ、義満の死後、遺言により法号にちなんで鹿苑寺とした。
三層の金閣は、応仁の乱にも残ったが、1950年(昭和25年)放火により焼失、5年後再建された。 金閣

金閣寺の総門には板が張り付けてあります。
画かれているのは火消の道具である二本の鳶口とInsurance(保険)のIです。
これは安田海上火災が契約者に張っておいて下さいと渡していたものです。
島原の角屋さんには銅版のものが張られています。
ちなみに火の神「愛宕神社」の神の使いは鳶です。

金閣寺総門

金閣寺の龍門の滝の左脇に観音石が置かれています。
白衣観音が座っておられる様に見えませんか?
白衣観音

・写真ポイント
鏡湖池の「赤松石」などを望む眺め。
特別名勝に指定されている庭、すなわち国宝の庭です。
鏡湖池

2.天竜寺
概要:臨済宗天竜寺派の本山。
1339年(延元4年)足利尊氏が後醍醐天皇供養のため、夢窓国師を開山として創建。
造営の費用捻出のため、元との貿易を再開し天竜寺船を運航させた。
曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉回遊式で、夢窓作といわれる。京都五山の第一位。

・写真ポイント
嵐山を借景にとり込んだ曹源池庭園 曹源池庭園

天竜寺の方丈には「若狭物外」作「雲龍図」があります。
向かって左から見ると顔が長く、右から見ると顔が短く見えます。
若狭物外 雲龍図 左から 若狭物外 雲龍図 右から

曹源池の滝石組の中端に鯉魚石(りぎょせき)があります。
鯉が滝を昇りきれば、雷火に尾ヒレは焼かれ、雲を呼び、雨を呼び、天空を泳ぎ、龍と化します。 その手前にある橋は、三枚の自然石をもって架けられており、日本最古の石橋と伝えられています。
龍門の滝 鯉魚石

通雲閣の廊下は龍を表しており、そこには「水月」の額があがっています。
「うつるとも 月もおもわず うつすとも 水もおもわぬ 広沢の池」 (後水尾天皇)
水と月の関係に互いに意図がない。禅の境地を表します。
また、柳生新陰流の剣の極意でもあります。 通雲閣 水月

3.二条城
概要:1603年(慶長8年)関が原で勝利を収めた徳川家康が、上洛の際の宿所として建築した。
1750年(寛延3年)落雷で天守閣を天明の大火で本丸をそれぞれ焼失した。
二の丸御殿は、当初のもので国宝。二の丸庭園は、小堀遠州作である。
1867年(慶応3年)15代慶喜の大政奉還の上表がここで行われた。
1939年(昭和14年)京都市の所管になり二条城となった。 二条城

唐門をくぐり、振り返った所の蛙股(かえるまた)の彫刻は「黄石公(こうせきこう)」(秦代中国の隠士)です。
黄石公の乗っている亀は3000年に一度自ら首を出し息をつぎます。
黄石公も同じように息が長いのです。
建物が息長く続くようにの願いで、火災除けでもあります。
黄石公

二の丸庭園から建物の縁側の下をのぞくと鴬(うぐいす)張りの仕掛けが見えます。
鴬張りとは人が床の板の上を歩く事で、キュッキュッと鶯が鳴いているかのようなきしみ音が
する様につくられた仕組みで、外部からの侵入者を探知するために設けられたと考えられています。 鴬張り

4.龍安寺
概要:臨済宗妙心寺派。
1450年(宝徳2年)室町幕府の管領細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、 妙心寺の義天玄承に帰依して禅刹を建立した。
方丈南庭の15の石組みによる石庭はあまりにも有名。
その南にひろがる鏡容池は、四季おりおりの花が楽しめる。
龍安寺石庭

龍安寺の売店では栓抜が売られています。
水戸黄門寄進の知足のつくばいの形をした栓抜きで、飲み過ぎないよう「吾唯足知」。
知足の栓抜 知足のつくばい

龍安寺の方丈に「方丈」の額が上がっています。
東福寺開山「円爾弁円(えんにべんねん)」が中国よりもたらした、「張即之(ちょうそくし)」(南宋の書家)の書です。 同じ書体をあちこちの方丈で見かけます。 龍安寺方丈


5.仁和寺
概要:真言宗御室派の総本山。
886年(仁和2年)光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4年)に宇多天皇が完成。
年号を寺名とした。宇多天皇が落髪入寺し、御座所である御室(おむろ)を設けたため 御室御所と呼ばれる。
御殿や五重塔、仁王門、国宝の金堂などが広い境内に点在する。
春、染井吉野が散った後、御室のおたふく桜が咲き始める。

・写真ポイント
仁王門は桓武天皇の平安京造営時の朱雀門を想わせる純和風の堂々たる門です。


「霊明殿」の額は近衛文麿の絶筆です。
この後東京へ戻り、東京裁判で裁かれることを是とせず自害しました。



5.上賀茂神社
概要:賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)が本名。 下鴨神社とならぶ賀茂氏の氏神。
祭神は、八咫烏に化けて神武天皇を難波まで先導したとされる 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とその孫にあたる賀茂別雷命。
1863年(文久3年)再建の本殿と権殿は国宝。
伊勢神宮に次ぐ崇敬を受け、斎院の制がしかれ歴代皇女が斎王となった。
5月15日に行われる葵祭は、ここの祭。焼き餅が名物。

神山(こうやま)は上の降臨地とされ現在も禁足地。
上賀茂一帯で昔は鉄が産出され雷が落ちやすい地域なのですが、神山山頂には古代祭礼跡があり縄文土器も出土しています。
神山


二ノ鳥居の注連縄は、右ない左ないの縄を一緒に結び、陰陽合体を表し五穀豊穣を祈念しています。
二ノ鳥居の注連縄


橋殿の四方の軒下に長い鉄の棒が取り付けてありますが、重文の建物を台風から防ぐ為に、四方の鉄棒の一方を地面に下ろしテントを張るようにフックに引っかけて守るそうです。
橋殿の金具


風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける  家隆

ならは「地面をならす」のならで、ゆるやかな流れの川を表します。
ならの小川


徒然草41段に賀茂の競べ馬の時、木の上で居眠りをしているお坊さんが落ちてこないかと心配で群衆がハラハラする場面がありますがそれがオウチの木です。 オウチの木

今後も少しずつUPしていく予定ですのでご期待下さい。

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