27.湯たく山 茶くれん寺
1587年(天正15年)10月、天下統一を果たした豊臣秀吉が、北野天満宮の境内で
「北野大茶会」を開催しました。
その準備の為、秀吉が「浄土院」の門前を通りかかった所、秀吉はこの寺に名水がある事を思い出し、輿を降りて寺の座敷へ上がりお茶を所望しました。
しかし、そこで庵主が出したのはお茶ではなく白湯(さゆ)でした。
秀吉は聞き間違えたのかと、もう一度茶を所望しますが、やはり出てきたのは白湯です。
わけを尋ねると
「天下の大茶人である関白様に、私ごときがお茶を点てて出すのは恐れ多く白湯を出させて戴きました」との事。
そういうことかと納得し、しゃれっ気のある秀吉は、お寺の名前を
「白湯ばかりでお茶をくれん寺」という事から、「湯たく山 茶くれん寺」と命名しました。
実はこの浄土院の本堂の屋根に楽焼の始祖「楽長次郎」の「寒山拾得」像が置かれています。
千家十職のひとつ、楽家の初代長次郎はお茶の世界で知らない方はおられません。
その貴重な長次郎の作品が屋根に平然と置かれたままです。
歴史の町「京都」ではこういうことが普通に見受けられます。
26.龍頭(りゅうず)
お寺の鐘の最上部に、吊す為の突起が付いていますが、そこに龍の頭が左右に意匠されています。
これを「龍頭」と云いますが、正確には龍の子供の「蒲牢」(ほろう)です。
龍には、龍生九子(りゅうせいきゅうし)といって九匹の子供がいますが、
各々特異な性格を持っていて、「蒲牢」は
龍に似て吼える事、大声を出すのが大好きな子です。
それならと、鐘の最上部の突起を「蒲牢」の二つの頭部で作り、それぞれ顔を外側に向け両側に置き、四方八方遠くまで鐘の音が響き渡るのを手伝わせよう……
という事で「蒲牢」の二つの頭がデザインされたというわけです。
この龍の頭があるので、鐘の吊す部分を「龍頭」と呼びますが、昔はお寺の鐘の音の数が時間を知らせてくれました。
時間を知らせる物、懐中時計や腕時計のネジを巻く突起をりゅうずといいますが、お寺の鐘の「龍頭」からそう呼ばれるようになりました。
25.賀茂川から鴨川へ
賀茂川は京の繁華街を流れるときは鴨川と書きます。
北西から南東へ流れる賀茂川は、北東から南西へ流れてくる高野川と合流し、京都の市街地を南下します。
上空から見ると、川の流れはY字形になっていますが、Vの部分の内側は下鴨神社のある
糺(ただす)の森です。
このY字型を、イチョウの葉の形、または鴨の脚の形に見立てます。
下鴨神社の由緒ある社家のひとつに鴨脚さんがおられますが、イチョウの葉の形と鴨の脚の形が同じ形である事から鴨脚と書いてイチョウと読みます。
Y字形に合流したら、あとは鴨の脚から胴体になりますよ・・・と「鴨川」と字が変わります。
昔の人のしゃれっ気のある遊び心には感心させられます。
ところで糺の森には京都家庭裁判所がありますが、裁判所をどごに建てようという時に、タダスで糺の森が良かろうと決まったそうです。
昔は行政もしゃれっ気があり、また市民も心が広くおおらかだったんですね。
24.小倉山
『大堰川 浮かべる舟の篝火に 小倉の山も名のみなりけり』 在原業平

この和歌は嵐山の鵜飼いを詠んだものですが、実はこの当時の小倉山とは、
嵐山、亀山、愛宕山にかけて一帯の事をいいました。

(愛宕山はさらに北西)
早く日の落ちるここ西山辺りがお暗い山と呼ばれたわけです。
嵐山の秋の紅葉は夕方、すぐ暗くなりますからお早めにお出かけ下さい。
『朝まだき 嵐の山の寒ければ 散るもみじ葉を着ぬ人ぞなき』 藤原公任
この和歌のように、平安時代から朝、朝日が山肌を照らしている内が嵐山紅葉狩りの定石のように思います。
もう一つ嵐山の和歌を…。
『小倉山 峰のもみじ葉心あらば 今ひとたびのみゆきまたなむ』 貞信公
この和歌のように小倉山と云えば、「もみじ」が有名です。
そこで、「もみじ」と云えば、取り合わせの動物は「鹿」ですね。
そして、「鹿」から思い描くのはあの斑点の「鹿子模様」です。
それから、斑点の「鹿子模様」はあんこに当てはめれば、こしあんじゃなくて、「粒餡」ですね…。
ですから、「粒餡」の事を「小倉餡」と云います。
つまり、
小豆→鹿子模様→鹿→もみじ→小倉山→小倉餡
というわけです。
23.大袈裟な話
建仁寺は建仁2年に創建された禅刹です。
比叡山の地位や名誉を重んじる貴族化にあきたらなかった栄西が、2度にわたり入宋し、日本へ最初に本格的な禅を伝えました。

「喫茶養生記」を著した栄西はお茶を伝えた事でも知られています。
高山寺の明恵上人に苗木を譲り栂尾に日本最初の茶園ができますが、明恵上人が宇治の里人に伝え、これが宇治茶として広く今に知られています。
厳しい禅風は武士達に好まれ、鎌倉幕府から鴨東の地を譲られ、朝廷からも厚く遇せられ、土御門天皇は栄西禅師に年号の「建仁」を寺号として下賜されます。
面白くないのは朝廷と密接につながって権力をふるってきた比叡山延暦寺です。
中国の禅僧の格好をしている栄西一派は、衣や袈裟が大きく人目を引くのですが、そこで比叡山側が朝廷に直訴します。
「近頃、都で大風やつむじ風が頻繁に起こるのは栄西一派が大きな衣や袈裟を翻して都大路を偉そうに闊歩するからでございます。」
「大袈裟」な話はこれを言います。
「栄西風神にあらず、何ぞ、風を吹かしめぬ」(雑談集9)
国宝俵屋宗達「風神雷神図」が建仁寺さんにあるのもこの話からでしょうか・・・。
22.ありがたい話
お寺さんをお詣りし、仏様を拝み、ありがたい気持ちになられる現代人はどれ程おられるのでしょうか?
「妙好人」と呼ばれる浄土真宗のお年寄は、何に対しても深い感謝を込め、
ありがたそうに「南無阿弥陀仏」を唱えられます。
そのお姿はすでに悟りの境地です。「妙好人」とまでは行かなくても、ありがたいという気持ちは持ちたいものですね。

「南無阿弥陀仏」という言葉ですが、「南無」は敬称ですので「尊いあみだ様」という言葉です。
あみだはインドのサンスクリット語で「アミターユース」(無量寿)「アミターバ」(無量光)のアミタです。
「無量寿」とは計り知れない時間の事です。
「無量光」とは計り知れない空間をいいます。
無限の過ぎ去った時間と果てしない未来の時間の「今」。
無限の彼方まで続く宇宙の広がりの中での「ここ」。
私達の人生は、いつどこにいても常に
無限の時間のうちの「今」と
無限の場所のうちの「ここ」があります。
今この瞬間、この文章を読んでおられるあなたは、無限のうちの奇跡的な時間と場所におられます・・・そして、この文章をつづった私の存在も、人間としてこの時代にいること自体が奇跡的な事です。
まさにあなたは奇跡的な有り得ない事に遭遇されているのです。
有り得ない事、すなわち有難い事です。
宇宙の時間からすれば、私達の人生であるたかだか100年は一瞬です。
でも常に有難い事の連続です。
感謝を表す日本語の「ありがとう」という言葉のなんと深遠なことでしょう!
ありがとうございました。
21.くだらない話
江戸時代、「京の酒」「伊丹の酒」は、醸造技術が発達していない江戸の人々にとって最高のお酒とされていました。
江戸への出荷は、「京の酒」は伏見港から、「伊丹の酒」は灘から船で運搬されていました。
関東方面の需要が高まる中、醸造元は運搬コストを下げる為、それぞれ伏見・灘へ蔵を移します。
以後、現代に至るまで、伏見・灘は酒処として酒造メーカーの拠点として繁栄していきます。
お酒の名前のお話ですが、「菊正宗」「キンシ正宗」「鶴正宗」等、よく「正宗」と名の付くお酒の銘柄がありますが、「正宗」を音読みすると「セイシュウ」です。つまり「清酒」ですよという商品説明になっているネーミングです。

また伏見には第16師団ができ、伏見の醸造元は、軍人さん達へ販路を拡げていきます。
ですから伏見には「月桂冠」「名誉冠」「英勲」「世界鷹」「神聖」等、軍人さんに好かれる名前のお酒が多いのです。
さて、江戸の人達には、京の西陣織や工芸品、とりわけ伏見や灘のお酒が至上のものとして喜ばれていました。
天皇がおられる所である上方から下ってくるものが最上で、それ以外は価値の劣るものとして
「下らないもの」と言われる事にとなり、これが私たちが普段使う「くだらない」という言葉の由来になったと一説に言われています。











